推しのことがずっと好きなのに、追いかけられない時期がありました。
忙しさや気持ちの余裕のなさで、自然と距離ができていたけれど、それでも、ふと思い出すと安心できる自分がいたんです。
あの頃のことを振り返ってみて、はじめて気づきました。
推しは、ただ“いてくれる”だけで、ちゃんとわたしを支えてくれていたんだなと。
この記事では、推し活ができなかった時期を通して見えてきた、「推しとはどんな存在か」について、わたしなりの気づきをまとめました。
同じような思いをしたことがある方に、少しでも届けばうれしいです。
推しとは、わたしにとって「空気のような存在」でした
忙しさや気持ちの余裕のなさで、推しの情報を自分から探すことすらできなかった時期がありました。
SNSもテレビも、見る元気がなくて、ただ日々を過ごすだけで精一杯。
それでも、推しの存在を「忘れた」ことはなかったんです。
むしろ、ふとしたときに思い出すと、心が少しだけ落ち着いたりして。
推しが何かをしてくれたわけじゃない。
でも、「そこにいる」って思えるだけで安心できた自分がいました。
そんな存在、他にいるかな?って思ったときに出てきた言葉が…“空気”でした。
いてくれるだけで救われてた。
わたしにとっての推しは、まさにそんな存在だったんです。
推し活できなかった日々と、“そばにいてくれた”という安心感
あの頃のわたしは、毎日がとにかく忙しくて。
心も体も余裕ゼロ、というかマイナスだったかもしれません。
スマホを開いても、推しのことを調べる気力がありませんでした。
情報を探せば見つかったはずなのに、それすら面倒に感じる日もあって。
「最近どうしてるのかな」と思うことはあっても、深追いする元気がなかった。
それでも不思議と、気持ちが冷めたとは思わなかったんです。
「好き」って気持ちはちゃんとあったけど、それより毎日を生きることで精一杯だった…そんな感覚でした。
それでも、ふとした瞬間に推しを思い出すと、なぜかほっとすることがあって。
たとえば、仕事帰りの電車の中で「今日もどこかで元気にしてるのかな」と考えるだけで、ちょっと気持ちが軽くなったり。
応援できていなくても、何もしてもらっていなくても、なぜか、そこにいてくれている気がして安心できたんです。
それってもう、「ただ存在してくれているだけで、支えになってた」ってことなんじゃないかなと。
まさに“空気のような存在”。
見えていなくても、ちゃんとそこにいてくれた…そう感じていました。
わたしが感じた“推しがいる効果”まとめてみた
「推しがいるだけで元気になれる」って、ちょっと大げさかなと思ってたんです。
でも、ふりかえってみると、思ってた以上に“効いてた”気がします。
とくにしんどい時期は、推しを思い出すだけで、気持ちが少し落ち着いたり。
「よし、もうちょいだけがんばろ」って思える瞬間も何度かありました。
シーン | 推しがいてくれてよかったと思えたこと |
---|---|
疲れて帰る電車の中 | 名前を思い出したら、少し気持ちがラクになった |
なにもやる気が出なかった朝 | 「あと5分だけ動いてみようかな」って思えた |
自分を責めそうになった夜 | 推しなら、今の自分も肯定してくれそうな気がして、少し安心できた |
なにもできなかった週末 | 「今はそういう時期でいい」って、自分を許せた感じがした |
大きなきっかけがあったわけじゃないけれど、推しがいてくれることで、気持ちを立て直せる瞬間が増えたのは確かです。
わたしにとって「推しがいる」って、それだけで少し自分を大事にできる理由になってたんだと思います。
ゆる〜くでも、また“推し”を楽しめるようになってきた
気持ちが少しずつ回復して、推しを追いかける余裕も、すこしずつ戻ってきました。
しばらくは“好き”の気持ちを持ったまま、見守るだけの日々。
でも、その気持ちは途切れていなかったみたいで…
久しぶりに推しの笑顔を見たとき、心がふわっと軽くなって、「ああ、やっぱり好きだな」って思ったんです。
今では、ガチ勢ほどじゃないけれど、自分なりのペースで、また推し活を楽しめています。
あの頃のわたしが無理してがんばらなくてよかった。
そう思えるくらい、今の“好き”は自然で、心地いいものになっています。
もし「推しについて、もっと言葉にしてみたい」「誰かと語り合ってみたい」と思ったら、推し語りを楽しむためのお題や質問をまとめたこちらの記事も、ぜひチェックしてみてください。
➡ 推し語りのお題&質問50選!ネタ切れしない最強リストで話が止まらない!
ひとりでじっくり考えたいときにも、友達と語りたいときにもぴったりな内容です。
「話す」ことで、また違った角度から推しの魅力に気づけるかもしれませんよ。
まとめ:あらためて考える「推しとはどんな存在?」
わたしにとって、推しとは…
がんばれなかった日も、笑えなかった日も、静かに寄り添ってくれていた存在です。
一緒に歩いているわけじゃないし、会話もできないけれど、思い出すだけで心がほんの少しやわらかくなる。
それって、たぶん「空気」のようなもの。
見えないけれど、いつもそばにいてくれた。
だから、あの頃のわたしはなんとかやってこれたし、今もまた「わたしのペース」で推しを楽しめています。
同じように感じている人がいたら、きっとその気持ちはちゃんと届いてると思います。
無理せず、好きでいられたら、それだけでもう十分です。
それに…
推しがいてくれることで、元気をもらえる瞬間もたくさんあります。
「がんばってみようかな」って思える日もあるし、人生の中に“楽しみ”があるってやっぱりうれしい。
推しとは、いつもじゃなくても、思い出せるだけで意味のある存在。
わたしにとって、かけがえのない“心の栄養”みたいなものです。
とはいえ、誰かにその「好きな気持ち」を否定されたり、モヤモヤした気持ちになってしまうこともあるかもしれません。
そんなときは、気持ちを守るための考え方や、心をやさしく整える方法も知っておくと、少しラクになれます。
➡ 推しを悪く言われたときどうする?気にしない考え方と実践できる対処法
気になる言葉を受け流すコツや、自分の気持ちを守るための考え方が見つかります。